脳髄日和
てらっち的ポエム、あるいはエッセイ。
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Author:teracchi
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2010.04.23_16:10
「近頃おなじ夢ばかり見るんです。何度も何度も何度も。それもきまって眠りの浅いときに。夜、ぐっすり眠っているときにはなんの夢も見ないんですよね。けれど、たとえば電車やバスなんかに乗っているとき、ついうとうとしてしまうことがあるでしょう? そんなときによくある、半覚醒状態というか……眠っているのか、起きているのか、どちらともおぼつかない状態。そういうあやふやな眠りのときに必ずおなじ夢を見るんです。夢……というか、断片的なイメージといったほうが正しいでしょうか。ストーリーもないし、人物もでてこない。なんの意味も表さない、無味乾燥な、たんなるイメージの連続です。その内容を具体的に申しますと……ええと、まず『そこ』にはなにもありません。ただ真っ白な世界が続くだけです。地平線の先まで、とにかくなにも存在しません。いや、地平線すらない。本当になにもない。空っぽの空間です。そこには僕すら存在していません。いえ、もちろんその空間を見ているのは僕自身ですから、僕はその空間に存在しているはずですが……ですけど存在しないんです。矛盾しているようですが、とにかくそうなんです。誰もいない。なにも存在しない。そんな空間です。で、その空間が、どんどん崩壊していくんです。次から次へと崩れていく。すみません、これも矛盾していますね。空っぽの空間なのに、なにかが崩壊するだなんて。けれど、そうとしか説明しようがない。そういうイメージなんです。崩壊がどんどんこちら側に迫ってきて、飲み込まれそうになるんですけど、いつまでたっても飲み込まれることはない。崩壊が迫ってくる、という状態が延々と続くんです。もう、本当に、絶え間なく。それがずっと続く。目が覚めるまで。いったいこれはなんなんでしょう? まったく、頭がどうかしてしまいそうですよ。あるいは、もうすでにおかしくなっているせいなんでしょうかね。とにかく、先生、なんとかしてください! もう耐えられない。この悪夢から逃れるすべはないのですか? 」
「それは、宇宙の夢ですよ」
「……なんですって? 宇宙の夢?」
「はい。宇宙の見る夢です。宇宙の見ている夢があなたの意識の中に流れ込んできて、そのせいであなたは奇妙な夢を見ている。……と、いきなりいってもなんのことだか解らないでしょうから、順を追って説明しましょう。いいですか、まず、我々は夢を見ます。眠れば大抵の場合、なにかしら夢を見ますよね。あるいは、こうであったらいいのになあ、こうなりたいなあ、というような願望や希望の類もここでいう夢に含まれます。ですから我々はほとんど四六時中夢を見ているといっても過言ではありませんね。ではいったい、なぜ我々は夢を見るのか? 答は簡単です。宇宙がそれを欲しているからです。夢は宇宙の栄養源なのです。突拍子もない話だとお思いですか? ですがこれは決して与汰話ではありません。身近な例をひとつ挙げましょう。たとえば、私は昨晩見た夢の内容を思い出せません。なにかしらの夢を見たはずなのですが、しかしその内容は思い出せない。私だけでなくほとんどすべての人がそうですよね。目が覚めた直後ははっきりと覚えているのにもかかわらず、顔を洗って歯を磨く頃には夢の記憶など忘却の彼方です。よほど印象に残った夢ならばしばらくの間は記憶にとどめているかもしれない。けれども、それだって時とともに風化していきます。願望や希望も同様です。時がたつにつれ徐々に薄らいでしまいます。なぜなら。宇宙が夢を飲み込んでしまうからですよ。我々が見る夢を宇宙は吸収し、胃袋に納めます。そののち夢は消化され、エネルギーに代えられます。宇宙はそうして得られるエネルギーによって膨張しているのです。もちろんここでいう胃袋というのはひとつの比喩ですよ。実際に宇宙が内蔵をもっているわけではありません。ちょうど我々が食物を取り込んでエネルギーに代えるのと同じように、宇宙もまた夢を取り込んでエネルギーに代えているのです。目に見えないところでね。そして、無数の夢が吸収され胃袋に納められた状態、これを研究者のあいだでは宇宙の見る夢と呼んでいます。つまりは我々の見る夢の集合体、それが宇宙の見る夢の正体です」
「はぁ……なるほど。あ、いや、なるほどというか、正直なところうまく理解できないのですが……とにかくあなたのいっていることの理屈はだいたい咀嚼できました。宇宙は我々の見る夢を取り込んでエネルギーに代えている、その過程で集められる無数の夢を指して宇宙の見る夢と呼ぶ、と。いささか信じがたい話ではありますが、ですが先生が仰るからにはきっとそうなのでしょう。そういうこととして了解します、が……それで一体、そのことと私の見る奇妙な夢とのあいだにどういった関係があるのでしょう?」
「はい。ここからが本題です。さきほど申し上げたとおり宇宙は我々の見る夢を飲み込んでいます。しかしですね、ごく稀にではありますが、宇宙の見る夢のほうが人間に向かって流れ込んでしまうことがあります。逆流ですね。あなたがまさにそのケースです」
「……逆流」
「はい。夢の逆流です」
「というと、つまり、私の見ているあの奇妙な夢はいわゆる宇宙の見ている夢だと。そういうことですか?」
「ええ、そう捉えてもらってかまいません。が、しかしまあ、あえて正確にいうならば、あなたの見ている夢は宇宙の夢を逆さまにしたものですね。といいますのは、まさに夢が逆流しているからですよ。たとえば、カセットテープに録音された音楽を逆再生した場合を想像してみてください。美しいはずのメロディも逆回しで聞くと意味不明な不協和音です。あなたの見ている夢にも同じことがいえます。逆流してきたものだから、意味不明で不快な悪夢になってしまうのです」
「はぁ、なるほど。それはわかりました。で、ではいったい、どうすれば通常の方向で再生できるのですか?」
「いいえ、その必要はありません。さきほども申し上げたとおり、本来ならば我々のほうから宇宙に向かって流れてゆくはずのものが、逆流してきているのです。ですから逆流そのものを止めてやるのが正しい対処法です」
「わかりました、わかりました。それで、逆流を止めるにはいったいどうすればよいのかを教えてください、お願いします」
「もちろんです。簡単な話です。夢を見ればよいのです」
「は……? ええと、あの、すみません、ですから」
「いえいえ、夢というのは、悪夢のほうではなくて夜中に眠っているときに見る夢のことですよ。あるいは、こうであったらいいのになあ、こうなりたいなあ、というような願望や希望の類も含まれます。あなた、さっき仰いましたよね、夜ぐっすり眠っているときには夢を見ないと。あるいはあなた、願望や希望もお持ちでないのではありませんか? それがいけない。いいですか、我々の見る夢を宇宙が取り込むというのは、一種の自然の摂理のようなものです。泉で水が湧き、川を通って海に流れ込むのと同じことです。我々の見た夢は必ず宇宙に向かって流れてゆきます。ですが、湧き水が枯れてしまったらどうなります? 海が枯れることはありませんが、泉はもはや泉ではなくなってしまいます。存在しないも同然。死です。あなたが夢を見ないから、逆流が起こるのですよ。水流にしろ電流にしろ、流れというものは必ず一方通行です。夢の流れもこの万物の法則に従っています。ですから、あなたが夢を見さえすれば、宇宙に夢を流しさえすれば、逆流することはないのです。では、なぜあなたが夢を見るのをやめてしまったのか。それはわたしにはわかりません。あるいは心理的なものに起因しているのかもしれませんが……残念ながらそれはわたしの専門外です。専門の機関にかかるのがよろしいでしょう。わたしから紹介することもできます。しかし、まあ、いずれにしろ目的ははっきりしましたね。夢を見ればよい。それだけです」
「なるほど……とはいえ、夢を見ろといわれましても、ねえ。べつに意識して夢を見ないようにしているわけでもありませんし……」
「ふむ。これは少々申し上げにくいことなのですが……しかし率直に申しましょう。そんなに悠長に構えている暇はありませんよ。さきほど泉が枯れることは死だと申しましたが、これはたんなる比喩ではなく、文字通りです。このままの状態が続けば、いずれあなた、死にますよ」
「なんですって!」
「ええ。なにしろ、大きな器から小さな器に向かって流れて込んでいるわけですからいつかは容量を超えてしまいます。水の場合はあふれてこぼれるだけですが、夢はちがいます。容量の限界を超えれば爆発します」
「ば、爆発!?」
「ええ。そうです。器というよりは、ゴム風船にたとえたほうが的確でしょうか。一定量を超えるとはじけ飛んでしまいます。といっても、もちろんあなたの体が突然どかんと爆発するわけではありませんよ。爆発するのは、心です」
「つまり……精神が崩壊してしまうということですか?」
「まあ、そのようなものですね。眠りの浅いときによく見るということですから、症状はまだ初期段階ですね。流れ込んできている宇宙の夢の量が少ない証拠です。これがぐっすり眠っているときにまで例の夢を見るようになると、非常に危ない。末期です。風船はもう爆発寸前。そうなる前に、なんとかしないと」
「……」
「ですから。あなたは一刻も早く夢を見る必要があります。夢を取り戻すのですよ。願望を抱きましょう。希望を描くのです。さあ、よく干したふかふかのベッドに横になって。素敵な夢を見ましょう!」

そこで目が覚めた。
妙にリアルな感触のする夢だった。
その内容を、ここに記しておく。
この夢が宇宙に飲み込まれてしまう前に。
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2010.04.22_05:00
僕は葛西臨海公園が好きで、その日も園内を散策していた。
日没前の散歩道はどこか寂寞の想いを誘うところがあって、思索や空想に耽るのにはちょうどいい。
かすかな潮風を感じながら薄明の空を眺めていると、虹色の球体が目の前を横切った。
しゃぼん玉だった。
風上のほうに視線を移すと、一組のカップルがしゃぼん玉を作っているのが見える。
まだあどけなさの残る少年と、同じくらいの年頃の少女。
少年は針金の輪っかを使って特大のしゃぼん玉を作り、少女はベンチに腰掛けて無数のしゃぼん玉を吹いている。
僕は勝手に想像する。
   彼らは革命分子だ。
自分たちの哲学やメッセージをしゃぼん玉に込めて、世界に発信している。
少年と少女の吹いたしゃぼん玉は、風にのって空を飛んでいく。
雨が降っても、嵐がきても、二人の頑強なしゃぼん玉は決して割れることはない。
長い長い旅を経て、どこかの誰かのもとへとたどり着く。
そうしてようやく、ぱちんと弾けて、彼らの想いを伝える。
どこかの誰かは、二人の想いをしっかりと受け取る  。
しゃぼん玉が僕の鼻先で弾けて、愚にもつかない空想は終了する。
少年と少女はあいかわらずしゃぼん玉を作り続けている。
太陽はもうほとんど沈みかけていて、世界はまもなく闇に包まれるだろう。
公園は日中の賑わいを失い、静まり返っている。
ふわふわと頼りなげに漂ってきたしゃぼん玉がひとつ、僕の前を通り過ぎる。
僕はその行き先を目で追いかける。
しゃぼん玉は風にのって舞い上がり、そのまま夕闇の空へと吸い込まれていった。


 息ふいて 祈りを込めた しゃぼん玉
 宇宙の果てまで 届いてほしい

2010.04.22_05:00
僕には人間の友人はいないけれど、自然の中にならたくさんの友達がいる。
たとえばつい先日は、一年ぶりの旧友と再会した。
「やあ久しぶり、秋さん」
僕は彼女のことを『秋さん』と呼んでいる。
声をかけると、秋さんは挨拶代わりに北風をびゅっと吹かせて、それから台風15号クンを紹介した。
秋さんは毎年九月の中頃になるとどこからともなくやってきて、たいていの場合、赤道付近で生まれた暴れん坊の台風クンを二、三人連れてくる。
彼女は概して、移ろいやすい性格だ。
気分屋といってもいい。
昨日まで太陽氏とイチャイチャしていたと思ったら、とつぜん雨さんや台風クンに乗り換えたりする、かと思えばまた太陽氏に戻ったり、といった具合だ。
しかし、彼女の一番のお気に入りは夜さんだ。
いつも午後四時すぎになると太陽氏を追い返してしまい、それから半日ほどのあいだ夜さんと過ごす。
彼女と夜さんとのあいだに流れる時間はとても濃密で、だから秋さんがやってくる時期は決まって夜が長くなるのだ。
そんな彼女ではあるけれど、単に気まぐれな女性というわけじゃない。
ときどき彼女は、もの憂げでセンチメンタルだったりする。
夕焼け空や虫の音、冷たい北風。
彼女がふとしたときにみせる表情や仕草は、僕をほんのすこし寂しげな気分にさせる。
それから、これはもっとも特筆すべき点なのだけれど、彼女はとびきりの美人で、とても魅力的な女性だ。
彼女を前にすると、山さんや森さんは照れてしまって真っ赤に染まる。
彼女は世界を赤面にさせる魔法のような魅力をそなえているのだ。
僕も、そんな秋さんのことが好きだ。
たとえば彼女のつくるご飯はとてもおいしい。
秋刀魚は脂がのってて最高だし、栗ご飯や筍ご飯なんかもいい。
まだ食べたことはないけれど、松茸料理も彼女の得意料理らしい。
柿や梨も甘くておいしい。
秋さんのつくる料理を食べると、僕はいつも元気になれる。
そんなとき僕は、彼女のことを、お母さんみたいだなと思う。
彼女と散歩をするのも好きだ。
並木道を歩くのが特に好きだ。
落ち葉をカサカサとふるわせたり、風をビュウと吹かせたり。
秋さんはいつも優しい声で話しかけてくれる。
そんなとき僕は、彼女のことを、お姉さんみたいだなと思う。
それから、僕が一番気に入っている彼女との過ごし方は、読書だ。
よく晴れた日は、秋空の下で寝転びながら。
雨の降る夜は、ベッドに潜り込んで。
僕が本を読んでいるとき、秋さんはいつもそっと僕に寄り添っていてくれる。
まるで、世界には僕と秋さんの二人だけしか存在しないみたいに。
そんなとき僕は、彼女のことを、恋人みたいだなと思う。
けれども、秋さんは僕の恋人ではない。
お母さんでもなければお姉さんでもない。
彼女とずっと一緒にいることは、できないのだ。
おそらく十一月の終わり頃にはまたどこかへいってしまうだろう。
だから僕は、それまでの短い日々を大切に過ごしたいと思う。
彼女といられる一瞬一瞬が、僕の心にちいさな幸せを芽生えさせてくれるから。
「僕は君のことが、好きだよ」
天高く澄みきった青い空に向かって、ささやきかけてみる。
すると彼女は照れくさそうにしながら北風をそっと吹かせて、僕の頬に優しいキスをくれた。

2010.04.22_05:00
昔、ジャングルに一頭の猿がいた。
度外れに強欲で、かつ傲慢な、しかし他のどの猿よりも頭の賢い猿だった。
猿は、大抵のことならなんでも知っていた。
効率よく食料を得るにはどこへ行けばよいか。
外敵から身を守るにはどうすればよいか。
好みの雌を手中に収める最良の方法はなにか。
それらすべてを、完璧に理解していた。
しかし猿は、群れの仲間たちを見下していたので、それらの知識を誰かに教えることは決してなかった。
そのため群れの仲間たちからは嫌われていた。
妬まれ、疎まれ、恨まれ、同時に畏れられてもいた。
あるとき猿は、群れの仲間たちにむかってこう言った。
「"心"とは一体なんだ? どんな形で、どんな大きさで、どんな色をしている?」
猿は、自分が史上最も優れた知能を持つ生物であることを自負していたが、しかしこの世のありとあらゆることを知り尽くしているわけではないこともまた、理解していた。
猿が最も愛する行為は、美味いものを食うことでもなければ、誰かを打ち負かすことでもなく、雌をはべらすことでもない。
それは、知的探求だった。
猿はすべてを知りたかった。
知識を得るためならばいかなる努力も惜しまなかったし、なににもまして貪欲だった。
「おい低能ども! 俺は"心"がなんであるかをまだ知らない! 万が一、お前らの中に"心"がどんなものか知っているものがいたなら、俺に教えてみろ! それができたなら代わりに俺の知っていることを教えてやるぞ!」
しかし、答える者はいなかった。
皆、互いに顔を見合わせるか、途方に暮れているばかりで、到底答えられそうにはなかった。
「クソッ、知能薄弱の屑どもが! お前らと同じ種族だと思うと虫酸が走るわ! じゃあ、お前はどうだ! お前は知っているか! "心"とはなんだ!」
猿は木の枝にとまっている小鳥を指差した。
「もし知っているなら今すぐ教えろ!」
しかし、小鳥は木の実をついばむのに夢中で、猿の言葉は耳に入っていないようだった。
「クソッ、下等生物が! じゃあ、お前らはどうだ!」
猿は、ジャングルの隅々まで響き渡らんばかりの声で叫んだ。
「俺は物心ついたころからずっと"心"とは一体なんであるかについて考えてきたが、未だに答えがでない! お前らはもう何千年も生きているのだろう! "心"とはなにか知っているんじゃないか! おい、教えてみせろ!」
しかし、答えはなかった。
ジャングルの木たちは、ただ無言で猿を見下ろしているだけだった。
「クソッ、木偶の坊め! お前らはいつもその調子だな!クソ、クソ、クソ、どいつもこいつも低能なクソばかりだ! この世界には"心"がなんであるかを知っている奴はいないのか! 俺は"心"がなんであるか知りたい!知りたい、知りたい、知りたい、知りたいぞ!」
そのとき、鬱蒼と茂るジャングルに、一筋の光が差し込んだ。
「いいだろう、私が教えて差し上げよう」
猿は頭上を見渡した。
ジャングルの木々よりも遥か高いところから声がした。
「何者だ! どこから喋っている!どんな形で、どんな大きさで、どんな色をしている? 姿を見せろ! 氏素性を明かせ!」
頭上の声の主が言った。
「私は世界を照らす存在。あなた方の頭上、遥か彼方から話かけている。丸くて、巨大な、すべての色の源。名前はまだない」
「わかった、わかったぞ! 俺はわかったぞ! いつかお前を、木々の合間から見上げたことがある! あのまぶしい奴だ!」
「いかにも。私は大昔から世界に光を注いでいる。あなたはジャングルにいるのであまり私の存在を気にかけていなかったようだ」
「お前か! お前が喋っているのか! よし、俺が名前を与えてやろう! お前は、『太陽』だ! 丸くて、でかくて、まぶしいから、お前は太陽だ! おい、太陽よ! 教えてみせろ! "心"とは一体なんだ? どんな形で、どんな大きさで、どんな色をしている?」
「名前をくれてありがとう。代わりに"心"とはなにかを教えて差し上げよう」
「よし! 言ってみろ!」
「"心"は、目に見えないところにある」
「ふざけるな! 目に見えないところとはどこだ? 目に見えなかったら、どんな形で、どんな大きさで、どんな色をしているのかわからないではないか!」
「そう。どんな形で、どんな大きさで、どんな色をしていのか、目で確認することはできない」
「ペテン師め! 詭弁を弄する気か!」
「いいや。本当のことさ。目には見えない。しかし、感じることはできる。感じて、想像するのさ」
「なんだと! もっとわかりやすく説明しろ!」
「そう、例えば。足下を見てごらん。そこに陽だまりがあるだろう。その陽だまりに、手を置いてみたらどうだろう?」
「陽だまりだと?」
猿は足下を見下ろした。
木々の間から差し込んだ光が、陽だまりをつくっていた。
猿は陽だまりに、手を差し伸べてみた。
「おお! ぬくいぞ! なんだかぬくいぞ!」
「そうさ。それが心の温かさだよ」
「わかった! わかったぞ!」
猿は歓喜した。
「俺は知ったぞ!わかった、わかった、わかった、ついにわかったぞ! そしてそれだけじゃない! 俺は新しいことを知ったぞ! 新しいことも! 感じて、想像するということだ! おい、太陽! 太陽よ、もっと教えろ! もっと新しいことを、俺に教えてみせろ!」
猿の手から、暖かさがすっとひき、陽だまりが消えた。
太陽に雲がかかり、ジャングルは再び鬱蒼とした気配に包まれた。
「おい、待て! もっと陽だまりを感じさせろ!」
猿は叫んだ。
「おい、太陽! 返事をしろ!」
しかし返事はなかった。
猿は、ジャングルで最も背の高い木を目指して駆け出した。
枝から枝へと飛び移り、あっという間にてっぺんへと登った。
木のてっぺんに立ち、空を仰ぐと、猿はもう一度叫んだ。
「おい、太陽! 返事をしろ! もう一度姿を見せろ!」
空の大部分は分厚い雲に覆われていて、太陽が再び姿を現すことは、当分なさそうだった。
「クソッ! 俺はもっとお前と話がしたい! 話がしたいぞ! 知りたいことがまだまだある! 知りたい、知りたい、知りたい、知りたいぞ! クソッ! しかしな、太陽よ! いいか太陽よ、よく聞け! 俺はまた新しいことを知ったぞ! おい、太陽よ、聞こえているか? 俺はまた新しいことを知った! まさに今、知った! お前が教えてくれたんだ! お前はもう一つ、新しい知識を俺に与えた!」
猿は、周囲を見渡した。
ジャングルで最も背の高い木のてっぺんから、世界が見えた。
鬱蒼と茂るジャングルが広がり、その外側には大地が広がっていた。
地平線の遥か彼方まで続いている、広大な大地だった。
「世界は広い! こんなにも広いぞ! こんなにも広いんだ! 俺はすべてのことを知りたいし、いつも光を浴びていたい! いいか、太陽よ! 俺は決めたぞ! 俺は世界のすべてを見てやる! そして世界のすべてを感じてやる!」
猿は木から降りると、ジャングルの外側を目指して駆け出した。
木から木へと飛び移ることはしなかった。
「大地だ! 俺は大地で生きるぞ!」
猿は四本の手足で地面を蹴り、ジャングルを全力で駆け抜けた。
「俺はすべてが知りたい。すべてを感じたい。世界のすべてを、俺によこせ!」
そうして猿は、ジャングルを抜け出し、広大なアフリカの大地に脚を踏み出したのだった。
  それが、われわれの歴史の、最初の一歩だった。
   -てらっち聖書・第一章『われわれの始まり』より-

2010.04.22_05:00
自然の前にあっては、自分が誰であるかなんて関係ない。
偉くなりたい、とか。
一番になりたい、とか。
天才と呼ばれたい、とか。
人より優れていたい、とか。
皆を感服させたいとか、とか。
誰にも真似できない、すごいモノが撮りたい、とか。
そういう、野心や雑念を、ぜんぶ取っ払って、心をからっぽにしてみる。
願わず、望まず、欲さない。
何者にもとらわれず、あらゆる物から解放されて。
そうすると、見えてくる。
ありのままの自然と生き物たちの確かな感触。
   今ここに、世界が存在している。
ただそれだけのことに感動できたとき、静かにシャッターを切る。
本当にいい写真が撮れたと思うのは、そんなときだ。


僕が動物の絵を描くのは、それが生命の象徴だからだ。
いや、動物はまさしく生命そのものなのだから『象徴』と呼ぶのはおかしな話ではあるが、しかしそれでもやはり生き物たち(人間を除く)の仕草や行動  たとえばせわしなく動く瞳、かろやかな足の運び、風にそよぐ体毛、個性的な鳴き声、さらにいうなら体温や脈動も  それらすべての一挙手一投足が、僕の胸に『生命』の二文字を喚起する。
だからそれはもう、象徴と呼ぶほかない。

生命のたしかな感触を得ることができたときの喜びは、なにものにもかえがたい。
けれども、その感動はいつだって刹那的だ。
風のように僕のこころを一瞬だけふるわせて、あっというまに吹きぬけてしまう。
振り返ってもそこにはもう風はないし、つかまえることもできない。
そして感動は時がたつにつれて風化してゆく。
だから。
形のないものを、キャンバスのなかに閉じ込める。
通り過ぎてしまうものを、永遠にする。
   絵を描くことは、風をつかまえることだ。


君は魂を持ったひとりの人間であり、型にはめられたキャラクターなんかじゃない。
君の人生はどんなときだってまぎれもない現実だから、出来合いの物語はいらない。
目と耳だけのヴァーチャルになんて惑わされない。
人はいつだって五感ぜんぶで世界を感じることができる。
君も僕も彼も彼女も、まちがいなく”ここ”に存在しているのだから。
僕たちのリアリズムを取り戻そう。
甘美な空想世界に、魂が溺れてしまう前に。


それぞれ違った個性を持っていて、どれもみんな美しい。
花は争うこともせず、いつも凛としている。
そうさ、ナンバー・ワンになんてならなくていい!
……だからって、自分がもともと特別なオンリー・ワンだなんて、自惚れもいいところだ。
霊長類万歳主義の勘違い。
もしこの世界に、特別で唯一なものがあるとすれば、それは宇宙だけだ。
宇宙の大きさには誰も敵わない。
宇宙の永さには誰もついていけない。
宇宙の力には誰も太刀打ちできない。
宇宙を捉まえることなんて誰にもできやしない。
すべての生命は宇宙の内包物。
僕たちは等しく、公平に、ちっぽけだ。
思い上がるのもいい加減にしろ。


平日だというのに昼間から渋谷をブラブラ。
暇をもてあましてはミニシアターへ入り浸り、観たくもない映画を観たりしている。
デキレースみたいな物語、おちゃらけた主人公。
僕は批評家気どりで斜に構え、悪態をつく。
だったら観なければいいじゃないか?
いや違う、僕はこの空間が好きなんだ、観客たちの微かな熱気と、感情を共有する二時間、これが僕は好きなんだ、なんて自分にいい聞かせながらエンドクレジットを眺めている。
そんな自分にクソ喰らえ。
映画館から出ると、太陽がカッと照りつけ、僕はめまいがしそうになる。
太陽はいつも眩しすぎる。
それからスタバに行って窓際の席に座り、甘ったるいコーヒーを啜りながらぼんやりと街を眺める。
軽薄な若者。
うわついた女子高生。
気どった学生風。
スクランブル交差点にはろくな連中がいやしない。
やがて日が暮れて、ようやく僕は席を立つ。
そして帰途に着く。
帰宅ラッシュの満員電車に揺られながら、ふと思う。
今日もまた、誰とも会話しなかったな、と。
  そんな、怠惰で、漫然とした、ろくでもない日々を、過ごしている。
無気力な大学生だったあの頃と、なにひとつ変わっちゃいない。
くだらない生活から抜け出したくて、大学を辞め、バイトも辞め、新しい場所へ引越もしたけれど、結局もとの木阿弥。
思想ばかりが立派になっても、そんなもの頭の中だけのことで、実際の僕は低能な穀潰しだ。
なにも生産していないし、社会にも貢献していない、たぶんこれからもできない。
所詮、人間なんてそう簡単に変わりゃしない。
人生にリセットボタンはない。
けれども、コントローラーぶん投げて電源を引っこ抜くことは、できる。
ネット対戦で負けそうになると回線切ってトンズラする奴。
そんな人間にみんなでなろう!


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